パッケージブランディングに通じる人生経験(ひとり旅、写真、JAZZ)

公開日:2009年06月21日(日)家族・友人

「 ひとり旅 」と「 中島みゆき 」

青森県津軽地方
まだ、観光化される前の津軽鉄道(1984年頃)。
列車の中に、石炭ストーブがあり、車体からストーブの煙突が出ています。
今とは違い、利用客は地元の方々しかいませんでした。

特に旅行が好きだったわけでもない。
高校時代に、友人に引っ付いて夏休みなどに東京や九州に出かけた。それなりに、楽しかったかな。
高校を卒業し、いよいよ社会人なるという18歳の春、北海道にへ独りで旅をしました。
これが初めての「独り旅」。
泊まりはいつものように、YH(ユースホステル、以下YH)。理由は安いし(当時は一人一拍二食付きで約2.000円くらいだったかな?)、一人でも簡単に泊まれること。当時は、まだYHを利用する老若男女は多く、いろんな人たちと出会えました。

一週間程の旅でしたが、この旅で私の中に「独り旅」のおもしろさに火がついたような気がしました。
いつも計画は行き当たりばったり、もちろん、だいたいのルートや日程は決めますが、あとは現地に行ってからルートや行程は、その時の気分で好きなように動き回ります。

「独り旅」というと殆どの人は、「独りでいったい何をするの?」、「寂しくないの?」、「暗い!」などのイメージがあると思います。
しかし、それは私にとってはその全くの逆です。

例え出発するときは独りでも、旅先のYHではたくさんの人たちと出会います。
特に当時は、独り旅をする人が多くいました。
リタイア後、自分の好きなバイクで気ままに日本中を走っているおじさん(60代くらいかな?)、自転車で東京から来たというサイクリング野郎(会ったのは、九州でした。)、看護婦さん、美容師さん、保母さん(今でいう保育士)など、若い女の子の独り旅もたくさんいました。

みんな自由気ままな独り旅。でも、だからこそ人が恋しくなります。
そんな人たちが、YHには集まったいました。

そうすると、どうなるか?
そうです。みんな、仲良くなるんです。
お互い知らない者どうしだけど、たまたま同じYHに泊まり合せた「縁」です。
人の話を聞き、自分の話をし、そして現地の情報交換、「あそこにこんなおもしろいものがあった!」とか、「このお店では、美味しいクルミおはぎが食べれる!」とか、話はつきません。

そうやって、楽しい時間は過ぎていき、翌日にはその仲間と周辺を回ったり、写真を撮りお互いに住所を交換して、後日写真を送ったり送られたりと、本当に楽しい思い出がたくさんあります。

大阪から東北や九州方面などの長距離の移動には、よく夜行列車に乗りました。
さすがにその時は独りです。
これからどんな旅になるだろうと、期待と不安でいっぱいです。
そんなとき、カセットテープ(当時は、レコードからカセットテープに音楽をダビングして、テープを何本も持って行ったものです。)で、中島みゆきを聴くのが大好きでした。(んーーー、これも暗いと言われそう?!)

独り旅には、中島みゆきが最高だと私は思っています。
特に夜汽車には、「みゆき」と缶ビールがよく似合います。
旅によく合う「ホームにて」、寝るときによく聴くアルバム「寒水魚」、どうしてこんな歌が創れるのと思う「泥は降りしきる」、「エレーン」、そして永遠の名曲「世情」。

それ以来、「中島みゆき」は、私にとって永遠の歌姫なのです。
落ち込むとき、寂しいとき、元気が欲しいときに励ましてくれるのが、
「みゆき」でした。

愛すべき「中島みゆき」のレコード。
レコードの針飛びがしないように、カセットテープにダビングしていました。

「民話のふるさと」として有名な遠野。(1984年頃撮影)
遠野は観る所ではなく、感じる所なのです。

YHで一緒だった数人と、あたりを散策。
雪の降る原野をバックに、1枚。

今でも、使われている水車小屋。十人の人が歩けば、十の物語。
同じ人でも、十回歩けば十の物語が創れます。それが、あなたの「遠野(十の)物語」

1985年夏。
青森県弘前市の「ねぷた祭り」に、弘前YHの有志で参加しました。
8月1日から7日まで、市内をねり歩きました。私は、電気関係担当。
ねぷたの中の電球を数十個、配線しました。小型発電機搭載。

ねぷたプロジェクト参加メンバー(左)。本番、盛り上がっています(右:右端は若き日の私)。

無事に役目を終わり、解体される「ねぷた」(左)。
この「ねぷた」の絵を描いた絵師。解体を前に、感無量!!(右)

「 写真 」 と 「 カメラ 」

北海道小樽市の北一硝子(北一ホール)。1981年撮影
明治時代の石造り倉庫を生かし、167個の石油ランプだけが灯る幻想的な喫茶ホールとなっています。

北アルプスの唐松岳(2,696メートル)からの写真(1992年撮影)。
雲海に沈んで行く夕日が、空を紅く染めていく。

旅と同じくして、写真にも凝り始めました。
初めは、写れば何でもいいと思っていましたが、性格的に一度凝りだすと「こだわって」しまう性質です。
自分で調べたり、友人の話などから「CONTAX」を選んでしまいました。
CONTAX・・・それは一般の方にはあまり知られていませんが、カメラ好きの方にはたまらないブランドで、その魅力は「世界最高の光学レンズ」といわれた「Carl Zeiss」レンズです。

私はボディーに、RTS2と137MAを使っています。
レンズは、Carl Zeiss Planar50mmF1.4、Planar85mmF1.4、Makro-Planar 100mmF2.8、Planar135mmF2、Sonnar180mmF2.8、Tele-Tessar300mmF4、それにヤシカの28mmF2.8、マクロの50mmです。

「写真はレンズで決まる!!」がコンタックスのキャッチコピーですが、正にツァイスレンズのその描写力は、圧巻です。
旅先で知りあった日報連(日本報道写真連盟)のカメラマンにいろいろと撮り方を教わりました。

旅先には、いつもバックパックとカメラバック(ボディー2台とレンズ数本を入れて。)を持ち歩いていました。

下手な私は、いつもそのカメラマンの方に、「こんな写真はダメ!!」といわれたものです。
「写真は、構図!!」いかに自分の表現したい映像を切り取るかが、勝負だと聞かされていました。ビデオと違い、写真は「一瞬」のチャンスしかありません。それをどう表現出来るかが、写真のおもしろさじゃないでしょうか!!

厳冬期の奥入瀬渓流(おいらせけいりゅう)
(青森県・1984年頃撮影)
深い自然林におおわれた約十四キロの奥入瀬渓流には、千変万化の水の流れが生む
躍動感あふれる景観が展開します。

真冬は、人が歩くことは殆どありません。ここを約6時間かけて、歩きました。 背景にある滝までも、凍りついています。表面が凍り、その中を水が落ちています。

「 JAZZ 」

澤野工房のアナログレコードとCD
いつもは、なかなかしてくれない澤野さんですが、無理をお願いしてサインしてもらいました。

音楽は元々好きでした。
高校生の頃、クラシックを聴くようになりました。私が通っていた高校の図書館に、「大阪フィルハーモニー交響楽団」定期演奏会の優待券(当時500円、正規のチケットは2.500円くらいでした。)が、いつもありました。
それを使って、大阪フェスティバルホールへ結構行きました。

ただし、優待券なので余っている席があれば入れるという条件でした。500円で聴けるならいいやという思いでしたが、席は大抵2階席の後ろの方です。
それでも500円ですから、文句は言えません。
クラシックの音楽的なことは、全然わかりませんでしたが、自分が聴いて良ければそれでいいと思っていました。
そう、正に「音楽を楽しむ」でした。

JAZZは以前から好きでしたが、周囲に聴く人間がいなかったので、誰のどの曲がいいのかなんて全然わかりませんでした。
ここでも、旅先で知りあった東京の友人にJAZZ好きがいて、彼から少しづつ教えてもらうようになりました。

そこに、運命ともいえる「澤野工房」との出会いがありました。
「澤野工房」、これも知る人ぞ知るJAZZのインディーズレーベルです。
社長の澤野由明さん、この方の本業は通天閣で有名な大阪の「新世界」にある「さわの履物店」の店主です。つまり「下駄屋のおじさん」なのです。

学生時代にお金を貯めて買った真空管アンプから聴こえてくるJAZZの音に魅せられ、趣味がこうじてヨーロッパJAZZを発信するようになりました。
しかし、「商売」としては難しく、これが売れなければ最後、と作ったLPレコードが口コミで広がり、CDも発売するようになりました。

澤野工房は、「聴いて心地よかったらええやんか!」 そんな思いで埋もれていた音やミュージシャンを発掘し、「自分が聴きたい作品をリリースする」という言葉をモットーにしています。
レアであるというだけで、埋もれてしまうには惜しまれる数々の演奏に光をあて、新たな命を吹き込むのです。

澤野由明さんとの出会いは、数年前新聞に出た記事でした。
早速お店で澤野工房のCDを購入、ジャケットからCDを取り出そうとした瞬間「バキッ!!」という音、もしかしてCDが割れたのかと思いましたが、割れたのはCDを留めてあるプラスチックの部分でした。

そのことをメールで澤野工房に伝えると、澤野さんから「代替品のジャケットを送ります。」と返事が来ました。
家からも近い「新世界」周辺は、私にとっては庭にような場所。
「送ってもらわなくても、取りに行きます。」と、直接「さわの履物店」へ行きました。
するとそこにいたのは、話好きで本当に気さくな「普通のおっちゃん」でした。

それからちょくちょく顔を出すようになり、今では奥さん、娘さん、スタッフとも顔なじみで、奥さんがいるとコーヒーを出していただける程です。

そんな「こだわり」を持った仕事を、私もしていきたいです。

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