◎村上紙器工業所
「箱Bar」第3回
暑かった日差しも落ち、街に灯がともりはじめるころ。まるで夕空に集まる蝙蝠のように、BAR好き人間たちが、今宵もカウンターに吸い寄せられてくる。まずは、ジントニック?それともハイボール?隣り合わせたのも何かの縁。グラスを傾けながら、楽しく話そうではありませんか。
バーカウンターは人生の学校である。
村上 誠にとってBARとは「人生の学校」である。止まり木に羽を休め、その夜ふと隣り合わせたひとと語り合う。酒の神からのプレゼントともいうべき、ひととの出会いの時間。そこに、人生の学びがある。今宵もまた、その幸福(口福かな)を求めて出撃する。
澤野由明さんはこんなひと。
澤野由明(よしあき) 有限会社澤野工房 代表取締役。
新世界の老舗下駄屋「さわの履物店」店主にして、異色のジャズ・レーベル「有限会社澤野工房」を運営し、数々のジャズ作品を世に送り出している。その界隈では知るひとぞ知るどころか、知らないひとは居ない存在である。「聴いて心地よかったら、ええやんか」をモットーに、じぶんが聴きたい作品をリリースし続けている。
https://www.jazz-sawano.com
対談場所:村上 誠のホームグラウンド。
村上 誠の馴染みの店。ウイスキーの品揃えも本格的。イメージを伝えると、なるほどと頷くカクテルをつくってくれる。マスターの河崎優飛さん(34歳)はカクテルの腕はもちろん、料理の腕も一級品。パスタどころか、麻婆豆腐だって出してくれるBARなのだ。
【bar bottoms up(バーボトムズアップ)】
大阪市西成区千本中1-4-10 グランドムール岸里 1F
TEL:06-6656-1340
バーテンダー:河﨑優飛
(村上)
澤野さんというひとは、
ボクの商売の師匠なんです。
(村上)
こんばんは。今日はご登場いただき、ありがとうございます。よろしくお願いします。とはいえ、先週会ったばかりですけどねえ(笑)。
(澤野)
そう、そう。先週の日曜日まで、うめだ阪急で「アートin JAZZ」という催し物に出ていたところへ来てくれはったんですよね。ジャズをテーマに制作したアートとうちの音楽作品をコラボさせるというイベントでした。そこへ、村上さんが来てくれはったんです。
(村上)
ということで、1週間のご無沙汰はもちろんですが(笑)、
澤野さんとの出会いに、カンパーイ!
(村上)
最初の出会いは、けっして愉快じゃなかったかもしれません。
(澤野)
村上さんとの最初の出会いは、商品へのクレームやったねえ。
(村上)
あれは、2000年ころでしたよね。
(澤野)
それもねえ。CDをつくりはじめたころで、さあ!これから離陸というときに、クレームの電話やったもんなあ(笑)。
「買ったCDの爪が折れています」と言うてきはったんです。
(村上)
スタートの出鼻を挫いた、最悪のヤツやったんですね(笑)。
(澤野)
いやいや、そんなことはないですよ。そのおかげで学んだことも、いろいろとありますからね。出会ったことに感謝しています。たしか日本橋のJoshinで、うちのCDを買ってくれはったんですよね。だから、Joshinの方で対応してもらっても良かったんやけど、お店で直接対応させてもらったんです。店の近所にも商品を卸しているし、お客さまと直接お会いするのは、どうやろうとも思ったんですけどね。“クレーム対応をキチンとやったら、良いお客が得られる”ということは、下駄屋の商売で身についていたからでしょうね。
(村上)
澤野さんからお店に来て欲しいと言われて、それで日本橋にはよく行っていたので、お店を訪ねて行きまして、ジャケットを新品に替えていただきました。それからですね。お店に行って直接買ようになりました。
(澤野)
当時は店に澤野工房(レーベル名)の看板も上がっていなかったし、店の中に並んでいるのは下駄ばかりやったし(笑)。CDを販売しているなんて、だれも思わんかったやろねえ。どう見ても、下駄屋。CDショップと書いてないし、外をクルクル回っているひとはいたけど、店の中に入って来るひとはいなかったもんねえ。
(村上)
月に1度は必ずお店に行っていましたから、月に1枚以上はCDを買っていました。行くと、奥さまがモーニングコーヒーをいれてくれはりましてね。それを飲みながら、澤野さんとお話しするのが楽しみでした。
(澤野)
そうそう、そうやったなあ。
(村上)
ところで、まだお聞きしたことがないのですが。なぜCDをつくるようになったんですか?そのあたりのお話をお聞きしたいんですが。
(澤野)
CDをつくりはじめたのは1998年からかな。
(澤野)
それ以前はレコードの復刻や、日本のレコードの海外への輸出。ヨーロッパから中古レコードを集めて東京で販売したりしていました。そんなことを、10年くらいやっていたかな。ところが、六本木ヒルズができることになって、売り場がなくなることになったんですよ。さて、困った。家族は養わないとあかんし。CDでもつくろうとなったわけです。フランス人の友人が「もうレコードの時代じゃない。これからはCDの時代だから、澤野は日本人向けにCDをつくれ」と、言ってくれたんです。まわりはみんな、「澤野は終わった」って噂していたらしいけどね(笑)。
(村上)
先行きどうなるかわからない。そんな大変なときにクレームでやってきたのが、ワタシだったんですか!(笑)
(澤野)
CDをつくりはじめて、「澤野工房」のシールを貼りはじめたんですよ。
(澤野)
じぶんがオリジナルでつくったCDだけじゃなく、それまでに出していた作品にもすべてシールを貼ったからねえ。そこから「澤野工房」の名前がお客さまに広まっていくことになりましたね。『あっ、これも澤野工房だったんだ』みたいなカンジでねえ。「澤野工房」の存在を大いに知らしめてくれました。そういう意味で、シールの果たした役割は大きかったと思います。
(村上)
「澤野工房」という、レーベルらしくないネーミング、和風の書体、木のような色などが、他とはまったく違うからこそ、独自のイメージをつくったんでしょうね。
(澤野)
とにかく、「あのシールを貼ったのをください」と、お客さまが来るようになったからねえ。茶色はわたしのラッキーカラーやから、それも良かったのかな。
(村上)
認知されるって、本当に大切ですよね。
(澤野)
村上さんの業界でもそうでしょうが、「貼り箱といえば村上」となれば、ビジネスのチャンスも含めて可能性が大いに広がりますもんねえ。うちも、一気に知られるようになり、びっくりするほど売れだしたんですよ。村上さんがクレームを言ってきたCDが、HMVの全国チャートで第3位になりましたからねえ。
(村上)
わたしに先見の明があったんですねえ(笑)。
(澤野)
そのときの第1位はキース・ジャレットだったんです。「澤野工房」はキース・ジャレットとケンカする気だったんです。冗談やけど(笑)。2001年ころからCDショップに「澤野工房」コーナーができはじめて、どだんだんと広がっていきました。2002年が絶頂で、朝日新聞の社会面の記事になりました。それが、さらなる弾みになったと思います。
(村上)
いよいよ、全国制覇ですね!(笑)
(澤野)
“澤野工房4代目、2足の草鞋(わらじ)”
(澤野)
いまでも覚えています。これが、朝日新聞の記事の見出しです。その記事がきっかけになって、「ワールド ビジネス サテライト」に取りあげられました。そのニュースのおかげで、こちらからセールスに行かなくても、全国のショップが来てくれるようになったんですよね。これは、大きかったですね。セールスって、たいがいじぶんの良いことばかり言うでしょ。それが、どうもねえ。それまでもセールスに行くのがイヤでイヤで、仕方がなかったんですけどね。じぶんが自信を持ってつくっているのに、「これは、よろしいでっせ~」「ええでっせ~」とは言いたくなかった。セールスせんでも売れるようになるのが夢でした。
(村上)
夢が実現したというわけですよね。ところで、澤野さんにお聞きしたいんですが。パッケージの場合は紙質や色、デザインが商品の売り上げはもちろん、ブランドイメージにも多大な影響を与えます。CDジャケットの場合は、どうなんでしょう?
(澤野)
手に取ってもらうことこそが、ジャケットデザインの本質です。
(澤野)
これはマスターテープを借りてレーベルをはじめた、記念すべきうちの第1号商品です。タイトルは「White nights」。白夜という意味です。最初にCDジャケット用にと送ってきたのは、マスターテープを借りたひとが住むオークランド島の写真だったんです。白夜というタイトルに白夜の写真。フツーは、そう考えますよね。そこで、友人でもあるデザイナーにその写真を渡したところ、次に彼がいきなりポンと渡してくれたのが、このデザインだったんですよ。白地に、赤と金と墨だけで、ものすごく目立つでしょ。渡された写真を使っていないことで、かえって洒落ていますよね。それに、村上さんならわかるでしょうが、スミノフというウオッカのブランドをイメージしているんですよ。じつに面白いアイデアでしょ。
(村上)
そうですね!これは、売り場で目立ちますよねえ。他のCDジャケットは写真や絵を使ったものが多いから、シンプルなぶん、他と差異化ができていますもんね。手にしたくなりますよね、きっと。
(澤野)
CDはね、わたしの子どもなんですよ。この子にしてやれることは、まず売り場でジャケットの正面を見せて置いてもらうこと。そして、手に取ってもらうことなんです。手に取るアクションのためには、インパクトが絶対必要なんです。わが子に、手に取ってもらえるチカラを与えることに、ワタシの存在があると思っています。それはまさに、わたしが子どもであるCDジャケットにしてやれる“子ども孝行”なんですよ。
たまたま行ったタワーレコードでね。若い女の子2人がこのCDジャケットを指さして「わー、可愛い~」って言ってくれているのを聞いたんですよ。それ以来かな。店頭で目立つということはとても大切なんだと認識を変えたのは。
(村上)
ホント、このデザインですと、遠くからでもすぐに目をひきますよね。
(澤野)
これは、めちゃくちゃ売れました。それこそ、カラダを壊すぐらい売れたからねえ(笑)。HMVの全国チャートで第2位まで行きました。
(村上)
澤野さんは、わたしの“商売の師匠”。
(村上)
わたしは澤野さんのことを、勝手に「商売の師匠」と、思っているんですよ。
(澤野)
わたしは、CD屋やけど、根本は下駄屋なんですよ。お客さんがいてはって、買ってくれはって、喜んでくれはって、また買ってくれはる。このサイクルをうむことが商売なんです。
(村上)
澤野さんは、よく「買う理由」という言葉を使いはりますよね。
(澤野)
お客さまに買ってもらう。澤野のCDをほしいと思ってもらう。だから、アレを買うならアソコへ行かなあかん。そういう「買う理由」ができたら、『買(こ)うて、買(こ)うて』と、セールスなんかしなくても良くなるもんねえ。分かってくれはったら、そこからは早いんやね。もっと買ってくれと言わなくても済むようになるのは。村上さんの会社も同じでしょ。「この箱をつくるなら村上さんにお願いしないとダメだ」となるのが理想ですもんね。
(村上)
そうなれるよう、理由の種をいっぱい撒いているんです。師匠!
(澤野)
いつか、村上さんと仕事でジョイントできたらいいねえ。
(澤野)
10年ほど前に展示会か何かで村上さんと仕事をしたよね。たしか、レコードの箱をつくったように記憶しています。また一緒にやりたいけど、なかなかやれてないなあ。
(村上)
広い意味でジャケットもパッケージですもんね。ジャケットのデザインや仕様ひとつで売り上げも変わるはずです。でも、昨今はなかなかパッケージにお金をかけたがらない。
(澤野)
ジャケットにお金をかけるということは、お客さまにお金をかけるということやのにねえ。あとですべてが返ってくるわけけやし。お客さまの手元に残っていくものやしねえ。
(村上)
絵になるジャケットは、一種の飾りですもん。パッケージは重要です。
(澤野)
年齢もそれなりにとってきたけど、美学として商売を辞めないでおこうと思っています。辞めない美学というものもあるんじゃないかなあ。続けるということは、親父に教えてもらったことです。みんなが辞めていって、「買いたいから、澤野のところへ行かんとあかん」となったら、面白いよね。うちの、一人勝ちの時代やもんね。
(村上)
澤野さんは唯一の存在ですよ。マーケティングじゃなくて、じぶんの想いでやっていらっしゃいますもんね。
(澤野)
ええ時代に74歳になったもんだ(笑)
(村上)
そうですね。これからも、澤野工房は澤野工房であり続けてください。今日は、本当にありがとうございました。続きは、何か食べて飲みながら、お話ししましょう。マスター、お願いします!
よく笑った。いつも楽しい「箱BAR」の取材だけど、今回はとくによく笑ったように感じた。澤野さんのはんなりした大阪弁。村上さんの歯切れの良いツッコミ。これはまさに、浪速の掛け合いの世界だった。じつは、事前に澤野さんのお店に行かせていただき、取材と打ち合わせをさせていただいた。あの、なんとも言えない店のロケーション。ぜひ、再訪したい。下駄や雪駄(せった)もじっくりと拝見したい。「オイ、オイ、うちはCDも売ってんねんで」と、澤野さんのあのはんなりした大阪弁が耳に聞こえてきそうだ。下駄も雪駄もええ音がしまっさかいなあ。チャンチャン♩
おあとがよろしいようで。
インタビュー&ライティング
コピーライター田中有史(旅する田中有史オフィス)
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撮影&デザイン
浪本浩一(ランデザイン)
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訪問日:2024年07月09日(火)
公開日:2024年10月08日(火)
※掲載内容は取材時の情報に基づいています。